umauma-gohan diary

〜サンフランシスコの暮らしと日々のうまうまごはん日記〜

幼き頃のお正月

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年末ですね〜

昨日は天気もよかったし、散歩がてら主人と二人でトレジョまで歩いて買い出しに行きました。

 

今朝は鮮魚類を買うために開店前の日系スーパーに並びましたが約1時間待ち。買い物が済んで店を出る頃には見たこともない、ながーーーい行列ができてました。ヒー💦

 

お節料理のメニューもだいたい決めたし、お雑煮は主人に任せたし、今日はお節の下ごしらえと年越し蕎麦の準備をします。

冬至が過ぎて、日が長くなったように思います。

 

 

実家のお正月

古いアルバムを整理していたら、幼い頃のお正月を思い出しました。今日は私の家族と幼い頃のお正月の話をしたいと思います。

 

我が家は、父、母、祖母、兄の5人家族。父は6人兄妹の長男なので、何かあると親戚がたくさん集まりました。実家の家事や台所仕事の主導権は祖母で、特にお盆とお正月は祖母の意見が絶対でした。

 

12月に入ると黒豆の準備から始まり、お節料理は祖母と母がイチから作ります。私はただ見てるだけでしたが、祖母はお節料理の意味をひとつひとつ聞かせてくれたのです。

 

12月に入ると我が家の恒例行事、餅つきをします。餅米や小豆の準備も同時にするので、祖母や母はずぅーーーっと台所に立っていた記憶があります。

 

餅つきの前日と当日は家中が大忙し。父と兄は倉庫から杵と臼を出して洗います。応接間はお餅を丸めるスペースに使うので、片付けや掃除は母と私の仕事です。

庭には薪をくべる釜を作り、大きなせいろを使って餅米を蒸す支度をします。祖母が薪をくべ、ずっと離れず窯の火の番をしていた後ろ姿が印象的でした。

 

餅つき当日は、親戚のおばさん達が手伝いにきて総出で手伝います。そして、近所の人たちも我が家に集まります。

 

祖母が指揮を取り、せいろで蒸した餅米を臼に入れ、杵をかついだ父や兄が蒸し立ての餅米をつきます。祖母が絶妙の掛け合いで餅米をこねていました。今や滅多に見られない光景ですよね。

 

つきたての餅は祖母が素手で応接間まで運び(つきたてのもちは尋常じゃない熱さ)、ぽんぽんぽんと小分けにします。大きな板の上で粉まみれになりながら、それを女性や子供たちがこねます。子供たちは大喜び!!!

 

基本は丸餅で、鏡餅は祖母が作ります。そして、何度も蒸してはつき、こねては乾かしして、丸めた餅は親戚や近所の人たちが持ち帰り、この年のお正月にいただくのです。

 

うちは町の町長でも役員でもなく、父は地方公務員で、何故、我が家がすべてを仕切っていたのか、未だに謎なんですよね。もちろんお代なんて取ったことはないし、一年お世話になりましたのお礼のつもりだったのかなぁ?

 

そして、年末のバタバタは鎮まり、元旦の朝は神棚にお神酒を供え、父を先頭にして家族全員で新年の挨拶をします。このシーンは向田邦子さんの小説に出てくる、元旦の一幕とよく似ていました。(笑)

 

そして「お清め」の為のお神酒を子供の私もひと口だけ飲むのです。食道をカァーーーと伝う感覚を今でも覚えています。

 

お清めが終わると家族全員でお節料理やお雑煮をいただきます。ビックリされるかもしれませんが、我が家のお雑煮はぜんざいです。祖母が作ったあんことみんなでまるめたお餅でお雑煮を作ります。祖母曰く、小豆は毒消しといわれ、家族の健康を願って小豆のお雑煮を頂くと言っていました。

私が大人になってから、他県の方がお澄ましや白味噌で食べるお雑煮の話を聞いてビックリしました。

かわりに我が家のお雑煮の話をするとビックリされました。(笑)

 

私が小さい頃はお正月になると街中のお店が全部閉まり、雪もよく降ったのでほんとうに静かなお正月でした。こちらのクリスマスみたい。

 

家族全員で掘りごたつを囲んで、ゆく年くる年紅白歌合戦をみました。お正月の三が日は外に出ず、外からの楽しみといえば年賀状。そうそう、お年玉も楽しみでしたね〜。今でもお正月の光景はしっかり目に浮かびます。

 

母の言葉 

常々、母が私に言った言葉……。

「あなたは次男の家に嫁ぎなさい」

小さい頃からの母の口癖でした。

 

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長男は絶対的に跡継ぎとなり、親の面倒から親戚すべての面倒をみるなんてことは、少なくなってきたと思いますが、昔は普通だったように思います。父は父で長男として大変だったと思いますが、嫁である母は想像以上に大変だったと思います。

 

亭主関白な父

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若き頃の父です。

 

父が台所に入ることは絶対ありませんし、煙草すら自分で取りません。席を立つのは、トイレ、お風呂、寝る時だけ。お正月の餅つきだけは手伝ってました。

 

嫁ぐ前の母はキャリアウーマン(死語?)で主婦は向いてなさそうだし、家では祖母が絶対だったし、大勢親戚は集まるし、いろいろ辛かったと思います。母が「次男に嫁ぎなさい」と言った意味が、大人になってからよく分かります。

 

ちなみに私の主人は次男です。狙ったわけではありませんよ。(笑)主人は料理もするし、掃除、洗濯、買い物も手伝ってくれます。アメリカでは、ご主人がご飯を作るのは割と一般的かもしれませんが、そんな昔気質の家で育った私は、主人が料理をしたり、掃除や洗濯をすることにはじめは戸惑いました。今となっては、料理は人任せ、手伝いもしない男性は有り得ないと思ってしまいますがね。

 

男性が家事をするなんて、いい時代になったなぁと亡き母は涙を流して喜んでいると思います。祖母や母は苦労したと思うけど、私にとっては古きよき昭和の家族の構図です。

 

祖母の間違え

お婆ちゃん、あのね、年越し蕎麦ってね、年が明ける前に食べるんだってさ。

祖母は年越し蕎麦を「年を越してから食べるもの」と思っていて、元旦に家族みんなで誰も疑うことなくお蕎麦を食べていました。(苦笑)

これはもう笑い話にしときましょうね。

 

祖母は100歳で大往生しました。

長生きの秘訣は、決まった時間の睡眠と食事、食事は粗食、食後は必ず朝さんぽ。

じっとせず、常に自分で仕事を作って動いてる人。

家族はみんな祖母を尊敬してました。嫁である母の心中は分かりませんが……( ;∀;)💦

 

祖母も父も母も他界してしまいましたが、まさか娘(孫)がアメリカで暮らしているなんて信じられないと思います。

 

最後に。

大好きなお婆ちゃんと私。

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新年のご挨拶。神社にお参り。

 

幼き頃を思い出しながら、今年もお正月の準備を始めます。ナンチャッテお節と主人が作る角餅のお澄ましのお雑煮でお正月を迎えます。

 

うまうまブログにお付き合いくださいまして、本当にありがとうございました。

スターをつけて頂いたり、コメントを頂いたり、とても心に沁みました。嬉しかったです。

また、来年もよろしくお願い致します。

 

みなさまも素晴らしい年越しをお迎えください。

 

幼きうまうま物語

All photos by umauma

 

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