umauma-gohan diary

〜サンフランシスコの暮らしと日々のうまうまごはん日記〜

頑固親父とのバトル


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頑固親父とのバトル

先日、私がハタチの頃に出会った女性のことを書いたら、その当時の父とのバトルを思い出したので書いてみようと思います。 

 

ハタチの頃に出会った女性のハナシはこちら↓↓↓

umauma-gohan.hatenablog.com

 

私の父は超がつくほど気難しくて頑固者!そして父の意見は絶対でした。「高校を卒業するまでは親に責任があるから全部面倒をみてやる。それ以降は自分で責任を取りなさい。」といつも言われていました。親がいつまでも生きていると思うな、と突き離す人でした。

何故、父はそんなことを言うのだろう?

私は父が年をとってからの子供だったし、もともと体が強い人ではなかったので、もしもの時を思って厳しく言ったのかもしれません。または、18歳を越えたら自立して勝手にやってくれっと思っていたのかもしれません。(笑)それにしても子供には厳しすぎる言葉ですよね……まったく💧

 

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高校3年。私は美術系の大学か短大に進学したいと考えていました。進学の意志を母に相談し、担任より先に父に話をするよう言われました。何故かというと父が納得しないと何も進まないからです。

 

予測通り、真っ向から却下!

理由は美大を出ても将来食べていけないから大学に行かせる意味がないと。(美大の方々、失礼いってすみません🙇‍♀️🙇‍♀️🙇‍♀️ その理由はこの後に続きます。)そして東京の大学も却下。親戚が東京にいるから安心なのに、距離が遠すぎて帰って来なくなるからダメだと。ほんと勝手だわ💦

 

かといって、私も学びながら自分の学費や教材費を稼ぐなんて根性はなく、強気なことも言えず、時間は無駄に過ぎていき自暴自棄になっていました。最後のあがきで「受験が出来なくなるーーー!受ける大学がなくなるーーー!」とせっついて、結局、父がしぶしぶ学費を出してくれたのです。ただし条件付きで。

①免許や資格を絶対に取ること

②神戸の短大であること

③2年間、寮に入ること

④卒業したら帰って来ること

 

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結果、私は神戸の私立短大の幼児教育科に進学しました。入ったはいいけど本人全然やる気なし😭 実はその短大には美術科があって、途中で編入できないかと密かに企んでいたのです。しかし先立つお金がない。父は絶対出すわけない。美術科と言っただけで連れ戻されそうでした。父の中には、美術科=芸術家=食べれない、といった思い込みがあるのです。しかし、後になって思ったのは、自分の妹が日本画の画家を目指し、大変苦労したのを見てきたからだと思いました。妹の為に仕送りもしていた様です。そして、もうひとりの妹は幼稚園の先生になり、安定した暮らしをしていたから私に薦めたのだと思います。#親の心 子知らず

寮では同じ学科の先輩とは馴染めず、いつも美術科の先輩の部屋に潜り込んでいました。結果、寮生活は1年が限界でした。

そこでまた頑固親父への交渉がはじまるのです。

 

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「一人暮らしをさせて欲しい」

心臓が口から出そうになるほど緊張し、寮から父に電話をしました。父に話すと「約束が違う!」と怒鳴られ即却下。日を置いて、また父に電話をしたら、また却下。「お前はいつまで言ってるんだ!ダメなものはダメだ!」と怒られました。電話から10円玉がどんどん落ちていき、私の気持ちもどんどん落ちていったのです。

 

掛けても掛けても、いつもダメ出しで半分諦めかけた時でした。さすがに根負けしたのか「仕送りはせんぞ!それでも一人暮らしをするのか!できるのか!」と怒鳴ってきたのです。そんな保証も心構えもなかったけど、強気で「できる」と言ったら「ならやってみろ!」と。

えっ?いまなんて言った?

その言葉を聞いた瞬間、号泣しました。ここで泣くのは悔しかったのですが、声がうわずり、我慢できなくなって電話口で大泣きしました。ふいてもふいても涙は止まらず、声はうわずりまともに喋れず。そんな娘を哀れに思ったのか、父は急に弱気になり「家賃はいくらだ?家賃だけは払ってやる。あとは知らんぞ。」と言ったのです。この後、部屋に入って、ベッドのカーテンを閉め、声を殺して泣きました。

一人暮らしができることより、父が折れてくれたことが嬉しかったんです。

 

私はそこからどうやって部屋を探したのか覚えていませんが、短大の近くに狭い部屋を借りました。洒落たアパートでしたが、とにかく部屋が激せまで、猫の額ほどの流しとユニットバス、備え付けの棚と机とベッドがあり、固定されてて動かすことができないので、部屋はほぼベッドで占領されていました。生まれてはじめての一人暮らし。狭いけどそれなりに工夫して片付け、たまには花も飾っていたように思います。

 

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毎日、暇なのにバイトといえば、先日も書いたカンテグランデのカフェくらい。「バイトを掛け持ちします!なんでもやります!」の精神はもちあわせておらず。

 

父からの仕送りは全部家賃に消えるので、父に内緒で母や祖母がお金や食べ物を送ってくれたり、仲間が実家から食べ物を運んでくれたり、クラスメートのお母さんが私にもお弁当を作ってくれたり、仲良くなった友達が近所で一人暮らしをしていたので、貧乏学生同士支え合っていたのだと思います。めちゃくちゃ周りにお世話になっていました。

 

短大を卒業してからは、近所に住む友達と一緒に友達のお父さんの紹介で別のアパートに引っ越しました。父はというと……「卒業したら帰って来るという約束だったのにお前は何をしてるんだ!」とまたお怒りモード。また約束を破ってしまいました。(苦笑)

 

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それからも父は仕送りと一緒に毎回手紙を添えて送ってくれました。その手紙は今も取っていますが、読み返すと「お前につらくするつもりはないが、私が定年退職したらお金は入って来なくなるから贅沢はできんぞ。よく考えるように。」といった内容がつらつら〜つらつら〜。

そして、実家に帰るたび「お前は食べていけてるのか?」が父の口癖になりました。(いや、まったく食べていけてませんが)「うん、大丈夫」と言いながら、さすがに父の目を見ることはできませんでした💧

 

短大を卒業し、幼稚園教諭の免許は取得したものの、結局、父希望の幼稚園教諭にはならず「何のために高い学費を払ったんだ!」と毎回言われながら、卒業してもフラフラしていました。

 

つづく……

 

ここから先も話は続くのですが、長くなりそうなので明日のブログにしたいと思います。よろしければお付き合いください。

 

最近は頑固親父を探すほうが難しいかもしれませんね。父は怒る時は怒るけど、兄や私に手をあげるような人ではなく、普段は寡黙な人でした。寡黙な人の一言って、怖いんですよね……_φ( ̄ー ̄ )💦

私の理想のお父さん像は、ヘチマカラーの肉厚なカーディガンを着て、できればパイプなんかくわえちゃって、友達がきたら「ゆっくりしていきなさい」と笑顔で招き入れてくれるような自慢できるお父さんでした。私の父はその要素がみじんもなかったな。いつも着物だったし。(苦笑)

 

頑固親父について触れてます↓↓↓

umauma-gohan.hatenablog.com

 

明日よろしければ覗いてやってください。

今日もお付き合い頂き、ありがとうごさいました!

 

父とうま子のハナシ

 

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